8月2日、3日、4日のアフリカンダンスと音楽の情報ページは→コチラです。
ワークショップの予約締切は延期され、今月末までうつけることになりました。
ワークショップ、公演チケット購入の予約、または質問欄はこのページの一番下↓にあります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
みなさんから、よく聞かれます。
沢山の方から。
ユスフ先生のようなすごい方にわたしが教わってもいいのでしょうか?
初心者なのに・・・
って。
この言葉を聞くと、高橋竹山という津軽三味線の名手が昔いらっしゃいましたが、彼がある音楽雑誌のインタビューでおっしゃっていたことを思い出します。
「最近の若い者は、思い上がっている。三味線を弾いてみなさい、と言うと、いえ、先生のようなすごい方の前ではとてもとても・・・と言う。そんな傲慢なことはない。わたしと自分を比べている。そして、自分は謙遜しているつもりなのだから、お話にならない。わたしがどれだけ修行を積んできたか。そんな若造なんかには比べ物にならないほどの技と経験を持っている。けれど、最近のものは、わたしと自分を比べるのだ。だから、先生のような方の前で弾けない、などと言うのだ。わたしよりできなくて当たり前なのに。見てもらえるだけでもありがたい、と弾くこともできない、傲慢な人間が増えて困る。」
これを読んだときわたしは当時、学生でNYで音楽を学んでいました。
海外にいると、日本の伝統芸能などが珍しく、いろいろと学びたくなるものです。
日本で津軽三味線が流行するよりずっと前のことでした。
NYのラファエットストリートという通りでこの雑誌を読んでいたのですが、そのときの景色や雲の色までハッキリ覚えています。
ドキリとしたからです。
わたしももし同じ状況におかれたら、このインタビューの中の若者と同じような態度に出た可能性がある、と思ったからです。
すごい先生を前に緊張するのは、自分と先生を比べているからだ・・・という事実に衝撃を受けました。
なるほど、そうか。
と思いました。
自意識過剰なのです。
そして、不遜。
アフリカンダンスに本格的にのめり込む前に、高橋竹山さんのこの言葉と出会ったことは、本当に幸運だったと思っています。
少し厳しい言い方になるかもしれませんが、未経験者が参加しても大丈夫ですか?と、聞くことは、ユスフ先生は、未経験者を教える器も技術も持たない先生ですか?と聞いていることと同義だということになります。
また、「ユスフ先生のような有名な方を呼んだら誰でも参加すると思ったから呼んだんだろう。」とこころないメールを送ってきた方もいました。
けれど、有名だからひとが簡単に集まるだろうと期待して呼んだのではありません。
逆です。
ユスフ先生は、有名になるだけの器のある方だからです。
どんな器か・・・。
まず、華々しい経歴を持つギニアの国を代表する素晴らしいダンサーですが、わたしは、それだけでは、このような田舎、ダンス的には非常に難しい場所にはお呼びしません。
彼は素晴らしいアーティストだから、この逆境でも上手にやっていただける、と思ったからこそお呼びしたのです。
彼ほど、生徒ひとりひとりをしっかり見て指導し、生徒の実力を見て安定したクラスを提供してくれる講師は、ほかに類をみません。
これまで、多くの素晴らしいアーティストたちに教えをこい、時には舞台をご一緒させていただきました。
多くの方が「日本で仕事を一緒にしよう」と言ってくださいます
けれど、誰でもいわゆる未開の土地でやってゆけるわけではありません。
才能の多く集まる芸能の街、NYでアフリカンダンスを根付かせ、広げ、いまだもって全米で人気を博するユスフ先生ならではです。
ユスフ先生なら、ここでも大丈夫。
そう思ったのです。
それに、初心者ほど、良い先生に学ぶのがよいのです。
上級者になれば、先生方の良いところを上手に選んで学ぶことができますし、少々教えるのが下手な先生でも、そこからくみ取って学ぶことができますが、初心者にはそれはムリです。
そして、最初から良いものに触れると、ちゃんと基本ができるものです。
言い方を変えれば、「子供は味の初心者だから、まずいもの食べさせておこう。美味しいものなんて、大人になって食べればいい。」という考え方と同じになります。
けれど、味覚も筋力や感性や美的感覚と同じで、鍛える必要性があるので、最初から美味しいものを食べていると、味の分かる大人に自然になるということです。
それで、ほかにももっと条件が楽な先生方は沢山いても、九州の最初の先生はユスフ先生でどうしても・・・と思っていたのがあります。
ご存じの方は少ないかもしれませんが、ユスフ先生を日本に最初にお呼びしたのは、わたしです。
1994年のことでした。
今回一緒に来るエピゾさんと一緒にお呼びしました。
ところが、エピゾさんは事情で来れず、ベンバ・バングーラさんが一緒に来日されましたが・・・。
その年の日本は、ママディケイタさん、そして、ドゥドゥニジャエローズさんが初来日した、日本でのアフリカ音楽の幕開けともいえる年でした。
けれど、アフリカンを知っているひとは少なく、アフリカンダンスなど見たこともないというひとが圧倒的に多く、もちろん、21日間連続アフリカンダンスと太鼓のワークショップなど、前代未聞でした。
わたしはまだNYに住んでいたのですが、東京の友人(ドラマーの外山明さん)の家に居候させてもらい、まだネットの発達していない時代だったので、東京23区のタウンページを電話局からもらってきて、東京中の劇団、舞踊団、クラブを片っ端から調べて電話し、チラシを置かせてくださいとお願いしました。
ほとんど、すべて断られました。
日本の芸能の世界は閉鎖的なことを学びました。
仕方なく、お金を出して、ダンスマガジンとドラムマガジンに宣伝をうちました。
確か、ミュージックマガジンにも載せてもらったように記憶しています。
J-Waveにもラジオ出演させてもらいました。
友人、知人に協力を頼み、ありとあらゆるカフェや雑貨屋にチラシを置いてもらいました。
(浅草のJPCも全面協力してくれ、ドラムも貸してくれました。)
そして、来日したユスフ先生とベンバ先生と一緒に、そのころアフリカンドラムを始めたばかりだった寺崎さんたちに応援をお願いして、渋谷のハチ公前で叩いて踊ってチラシを配って宣伝してまわったのです。
反応してくれたのは、ほとんど中年以降の方で、やはり、ワークショップには「足腰が・・・」と言ってきてくださいませんでしたが(笑)
それでも、北海道から沖縄まで、延べ120人以上のの参加者がありました。
でも、参加者のほぼ9割以上が、アフリカンダンスは初めての経験・・・。
当時のユスフ先生は、日本ではまったくの無名人でした。
そして、ベンバ先生を助けてクラスの演奏をしてくれたのは、今は日本の音楽界で活躍しているけれど、当時はまだ若く、アフリカンドラムはまだ・・という、外山明、大儀見元、コスマスカピッツア、江川源太などのミュージシャンでした。
それでも、ユスフ先生は、毎日毎日、黙々と素晴らしいクラスをやり続けてくれました。
みんな、笑顔で衝撃を受けて帰ってくれました。
そのとき、クラスを受講したひとで、今もアフリカンダンスを踊っているというひとたちがいるのをわたしは知っています。
だから、お呼びするのです。
ホンモノの名前というのは、そのひとの器のあとについてくるものだとわたしは思います。
みなさん、こころの扉をひらき、こころの首を垂れ、よく見られたい、他の人に迷惑をかけるかも、などという自意識も捨てて、先生を信頼し、自分の中にあるワクワクと新しいものに挑戦してみる勇気を大切にしてください。。
そして、この素晴らしい機会を、おもいきり満喫してください。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・